奄美旅行の写真

奄美大島に旅行に行ってきた。

勤め先の厚意で結婚休暇なるものを頂き、本当は海外旅行に充てるなどしたかったがこのようなご時世なので、国内でもせめて割とリゾートっぽいような場所を……と妻と検討した結果、鹿児島県は奄美大島まで行くことにした。

四月の奄美は水着になって泳ぐには少しだけ早いオフシーズンで、観光客もまばらであったが、おかげでどの名所やアクティビティも混雑することなく、ストレスのない、ハネムーンらしいといえばらしい旅にすることができた(妻は今回の旅のことを"プレ・ハネムーン"と呼んだ。またどこかに行くつもりなのだ)。

地元の人々が大切に保護している大自然の中、カヌーを漕いだり、ウミガメと泳いだり、島にしかいない貴重な野生動物を観察しに行った時間は代えがたい思い出になった。

奄美大島世界自然遺産登録されているため国家レベルでの保護になるが、それでもやはり地元民の尽力があってこそと感じた。

あと、モーター付きのパラグライダーで空も飛んだ。日本各地で体験できるアクティビティではあるが、景色は美しければ美しいほど良いし、これもシンプルに楽しかった。

とにかく、胸を張っておすすめできる素敵な観光地である。旅先に迷われた際には候補の一つとして是非検討いただきたい。

 

ところで僕は普段から写真を撮っており、もちろん奄美でもたくさんの写真を撮った。

ここ数年はずっとフィルムカメラを使っている。ノイズが多くて精細ではない感じとか、デジタルと違って撮影したものがフィジカルな形で刻まれ、残されている感じが好きだ。

それで、思い出用の精細なスマホ写真の他に、フィルムカメラで撮影したものがあるので、今回はそちらを載せていきたい。

※興味の無い方にはどうでもいい情報になるが、ネガフィルム現像は外注、その後のフィルムスキャンとデジタル現像は自分で行っている。

 

 

普段撮っている写真もどこかで見せられたらと思う。

それではまた。

 

 

camera:Autoboy D5

film:Ultramax 400

film scan:GT-X980

develop:Lightroom Classic

 

 

コロナ感染した話

Twitterにも書いたが、コロナに感染していました。

感染者数はどちらかといえば減少傾向のようだし、感染リスクの低い行動をとっていれば大丈夫だと思っていたが、まぁなるときはなる。

僕は妻からの感染だったけど、妻自体は“職場でコロナ陽性者が出たけど、マスクも外してないし殆ど喋ってない”というシチュエーションで感染したらしい(他に感染源の候補者がいない)ので、それはもう不可避だなと諦めがついた。感染前は「もし伝染(うつ)してきたやついたら絶対に○す」と思っていたが、あまりの不可避さに1mmも憎しみは湧かなかった。

 

コロナに感染した際、「いつ感染していつ発症したのか」が結構重要になるのだが、僕の感染日はかなりハッキリしていて、それは3/13の夜だった。その日の朝、妻が軽く発熱しており、僕は昼過ぎにPCR検査を受けたのだが、その結果は(2日後の通知で)陰性だった。妻の症状も明確ではなくその日は寝室を別にしなかったため、結果的に見るとそこで僕も感染したようだ。

 

3/14、妻が病院で抗原検査をすると陽性判定が出たため、そこから自宅内隔離が始まった。今思い返すとこの時期がマジでつらかった。買い出しや料理、その他家事はほぼ全て僕が行い、トイレや浴室などの共用スペースは使用前後に死ぬほど消毒した。コミュニケーションはLINEで行った。その間、妻が心配だったことに加え、常に自分に発症の兆候が来ないか怖かったし、同居者がいるのに一人で全てのことを行う生活は異様に孤独だった。この生活があと1週間ぐらい続くのかと思うと気が狂いそうだった。

で、3/15の夜に喉の違和感が出て、3/16にもう一度PCR検査を受けた。そして翌日、3/17に陽性判定の連絡をもらったときは逆にホッとした。隔離の必要がなくなったため、自室に引きこもっていた妻と再会したときには謎の感動すらあった。

ちなみにこの間、僕は3回ほど抗原検査キットによるセルフ診断を行っていたが、全て陰性判定だった。抗原検査は100%ではない、とは言われているが、マジで信用ならね〜と思う。多分症状が出てからじゃないと陽性判定は出ない。気になった時にはちゃんとしたPCR検査が吉。

あと「感染者」として確定してしまうと一切の外出ができなくなるため、(あ、これは多分感染してるな)と思いつつも、陽性判定が出る前に急いで処方箋をもらったり買い出しを済ませるなどした。もらった処方箋は解熱剤と漢方薬だけだったけど。漢方て……。

 

これで晴れて発症日(3/15)が確定したので、これを0日目として、以降10日間の隔離生活を指示された。以下、「○日目」という表記でメモを残したい。

 

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・0日目

喉の違和感。花粉症かな?というレベル。

(※これを発症というか微妙だが、早く復帰したかったのでこれを発症日として病院に報告した)

 

・1日目

喉の違和感がなくもない。倦怠感もあるといえばあるし、ないといえばない。病院に検査を受けに行った後は普通にリモートワークしていた。

 

・2日目

朝起きてリモートワークをしていたが、若干の倦怠感あり。そしてついに37℃程度の微熱も出たため仕事を休む。それから陽性判定の連絡が来るが、まぁそうですよね、となる。夜少し熱が上がったので処方された解熱剤(カロナール)を飲んで対処。

 

・3日目

最高38.3℃程度まで熱上がる。その度にカロナールを飲んで、熱下がる、を繰り返す。普通の風邪を1、インフルを5とすると、2くらいのつらさ。流石に仕事も丸1日休む(結果的にはこの2日間しか休まなかったです)。

 

・4日目

若干の微熱と、数時間だけ頭痛を感じた気がする。もうこれで終わりか?軽症すぎワロタと余裕ぶっこいてたらちょっと喉が痛くなってきて嫌な予感がする。

 

・5日目

朝、かなり喉が痛い。鏡で見ると真っ赤に爛れていた。何か飲み込まなくてもズキズキする。なおこの日は日曜、翌日は祝日で、病院が開いてないことに絶望する。

 

・6日目

喉は引き続き痛い。あとなんかご飯が美味しくない。喉の痛みのせいかな、と思っていたが、始まってしまった。味覚と嗅覚の鈍化。かなり絶望する。人生の楽しみの半分を失った気持ちだ。Twitterに死にま〜すとか呟こうかと思ったけどやめた。大人なので。

 

・7日目

オンライン診療で処方箋を出してもらう。喉が痛くてたまらないと申し出たが、もう正直痛みは治まり始めていた。味覚と嗅覚については、まぁ、治るまで我慢ですね、とのこと。う……。処方箋は喉の薬と、前にもらった漢方薬がもっと良い漢方薬にレベルアップした。

なお発熱がないため、気分は最悪だが隔離10日目まで普通にリモートワークを行う。ビデオ会議でガッツリ商談までした。

 

・8日目

喉はほぼ痛くなくなるが、味覚と嗅覚の鈍化が著しい。幸いゼロではないが、通常時を100とすれば10〜20くらい。数時間おきに、いろいろなものの匂いを確認した。既にほとんどノイローゼである。

なお、スパイス系の強い味のものは割と分かるため、この頃はカレーばかり食べていた。あとフルーツゼリーとか、パイナップルは味の解像度が特段に高く、美味しかった。

いつも飲んでいるお茶の匂いが分からなかったので、これが分かるようになるのを目標とする。

 

・9日目

もうカレーは食べたくないが、とにかく味がわからないので半分は義務的に、半分はヤケになってレトルトカレーを食う。頭がおかしくなりそうである。ついでにバカみたいな食生活のせいでお腹の調子もおかしくなりそうだ。

 

・10日目

隔離最終日であるが、味覚と嗅覚は戻らず。しかし「昨日分からなかった匂いが今日は若干分かるかも」という気がしないでもない。

 

・11日目

隔離終了。元々かなり出不精なので解放感とかはない。味覚と嗅覚は日々良くなっているような感覚もあるし、そう思えばまた悪化しているような感覚もあり、とにかくめちゃくちゃ落ち込む。お茶の匂いも分からない。

 

・12日目

月末に重要な仕事があるため、伸び切った髪を美容院に切りに行く。そこで仲の良い美容師さんが去年デルタ株に感染し、味覚と嗅覚を失ったことを初めて聞く。一度完全にゼロになったが、1か月ほどかけて徐々によくなり、今では元通りだそうだ。髪を切った爽快感に加え、このようなかなり具体的な体験談でここ最近一番心が軽くなった。帰り道、植え込みの花の香りが少しした。お茶の匂いは遠くで感じるようになった。

 

・13日目

職場復帰。味覚と嗅覚は徐々に戻ってきている感覚あり。

なおこの日の夜から、めちゃくちゃ咳が出るようになる。隔離期間は一切出なかったんですけど。

 

・14日目

目標だった「いつも飲んでるお茶の匂いを感じる」ところまできた。しかし風味は感じづらい。また、夕食に和食を食べたが、これも風味を感じられなかった。納豆を食べたところ、豆とカラシの味はするのだが、タレの味だけすっぽり抜け落ちていた。いわゆる「風味障害」という症状で、大雑把な味はわかるが“旨味”が分からない、という状態である。

夜中に咳が出て何度も起きる。

 

・15日目

重要な仕事があり、めちゃくちゃ忙しくしているうちに、味覚と嗅覚はいつの間にか7〜8割ほど戻ってきた感じがする。

咳、続く。

 

・16日目

味覚と嗅覚、8〜9割ほど戻った感じ。いつも飲んでるお茶の風味も結構分かる。何を食べてもそれなりに美味しい。

咳は出る。

 

・17日目〜19日目

この3日の間でどんどん良くなり、19日目に味覚と嗅覚が完全に戻ったことを確信する。もっとめちゃくちゃ嬉しい気持ちになるかと思っていたが、急激な治癒ではなくブレながら徐々に治癒していたこと、また元々持っていたものが戻ってきただけなので感動とかは全然ない。またぶり返す可能性もあるし。でも一旦安心である。

 

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以上、味覚と嗅覚の話ばかりになったが、やはりここが一番気になったところで、最終的にただの風邪やインフルよりもつらい体験になった。咳もまだ若干出てるし。

 

また結果的には、味覚、嗅覚が鈍化してから約13日で元の状態に戻った。統計的にも治癒までの日数は1〜2週間と言われているのでドンピシャである。

 

たとえばインフルなどは体内のウイルスをやっつけた時点で症状がなくなるものだと思うが、コロナの場合、ウイルスが体内に侵入した時点で、身体の何かどこかを傷つけられているんだな、という感覚が(何となくのイメージだが)あった。ウイルスそのものによる症状ではなく、身体のどこかが傷ついて後から症状が出ている感覚。

 

それはとにかく長い期間苦しむことや、また症状がいっぺんに出るのではなく、“一つ一つ個別に顕れる”という異様さから感じることであった(熱、喉の痛み、味覚・嗅覚障害、咳、これらの症状が代わりばんこで出た)。

 

それは例えば、職人の技で丁寧に調合された香水を思わせた。一つの香水が、時間の経過によって異なる香りになるように、このウイルスは時間経過で異なる症状が出るよう、とても上手くデザインされている、と。

まぁこれは変異した末のオミクロン株の症状だし、半分くらいは冗談なのだが、でももう半分くらいは、このウイルスをデザインした人物の姿や、謎の研究所の様子を頭の中でイメージしてしまわずにはいられない。

 

なお、妻の症状には触れなかったが、僕とだいたい同じような感じだった。特に感染初期については全く同じペースだったので、本当に同じウイルスなんだなと思わされた。隔離が明けて大分経った今になって、また若干舌の違和感が出てきたようで心配だが、これもすぐ良くなることを願っている。

 

僕や妻の症状は軽症も軽症で、亡くなってしまった人のことなども考えればあまりに取るに足らない事例の一つではあると思うが、やはり感染前後のストレスや、後遺症に関する不安は凄まじく、かなり最悪な時間であった。

 

結論、当たり前だけどコロナにはマジでならない方がいい。でもなるときはマジでなるからもはや運次第。

皆様も引き続きお気をつけて。

生活の話

夜、あまり腹が減っていなかったのでカップ麺でも食べようかと思ったけど、お昼にマクドナルドを食べたことを思い出してやめた。

 

毎日ほとんどの時間を家で過ごしている。今勤めている会社が以前からリモートワーク推進派だったので、週に1回、午前中だけオフィスに行く程度でそれ以外は家で仕事をしている。まぁ確かに腰は痛みやすいし全体的に気力が無くなった気はするが、それでもリモートワークは最高である。外出自粛で鬱になることは幸いなかったが、これから急に外に出ましょう、客先に営業に行きましょう、出張しましょう、となったら鬱になると思う。

 

今の部屋に引っ越してきて1年弱経った。部屋を探し始めたのはコロナが深刻化してきて多くの人がマスクをし始めた頃で、部屋が決まって引越しをしたのは緊急事態宣言が出るか出ないかぐらいの頃だった。

 

妻と結婚する前から2人で暮らし始めて、さぁ素敵なインテリアを揃えようか、あの雑貨屋行ってみたいね、みたいなタイミングで緊急事態宣言が出たので、家具はほとんどネットで購入することとなり、楽しいショッピングは夏頃までお預けとなった。その代わりに、ダイニングテーブルなどの大きな家具からティッシュケース・ペッパーミルなどのほんの小さな雑貨に至るまで、本当にありえないほど時間をかけて相談しながら選んだためトータルコーディネートには寸分の隙もなく、今では満足しているが。

 

ゴールデンウィークには小一時間歩いて隣駅のイトーヨーカドーに行ったり(緊急事態宣言中でも無印良品で買い物ができる数少ないスポットだった)、マンションから10km先の河原まで自転車で行き、飼っているヘビのケージの中に入れる大きめのかっこいい石などを探しに行ったりして時間を潰した。あの無駄な時間なんだったんだろうねと今でもたまに2人で話すが、まぁ結構楽しかった。

 

家事は完全に分担しているわけではないが、なんとなく上手く行っている。洗濯は妻がやっていて、掃除機がけを僕がやっている以外は、余裕のある方がやる。2人とも料理好きなので、これも出来るときに出来る方がやる。後片付けも。

 

借りている部屋は結構広くて、ダイニングのほかに寝室と、あとそれぞれの自室がある。お互いに物を作ったりする関係で、自室という条件は外せなかったためである。ちなみにこれまで妻とは一度もケンカらしいケンカをしたことがないのだが、仲が良いからということではなく多分それぞれのプライバシーをそれなりに担保できているからだと思う。掃除は大変だが、ケンカの多いカップルや夫婦はとにかく広い部屋に引っ越すことをおすすめしたい。

 

「婚約指輪は夫の給料の○ヶ月分で……」云々のいわゆるバブル時代の悪しき慣習を受け継ぐゼ○シィをはじめとしたリ○ルートの結婚ビジネスには断固抗っていきたいところだが(妻の口癖である)、まぁ何かもらえるのであればせっかくなら欲しいということで、夏頃に婚約指輪を贈った。オレンジ色のようなピンク色のような天然石の入った金のファッションリングで、それほど高価なものではない。

そのお返しにと、妻からはヴィンテージのカメラを最近贈ってもらった。今から4、50年前に製造されたドイツの小さなフィルムカメラで、とにかく見た目がクラシックで可愛らしい。電子式ではなく機械式なので、壊れても部品を直せば一生使える、とのこと。とても気に入っているので、撮った写真と一緒にカメラの写真もあとで載せたいと思う。

 

結婚式はまだしていない。いずれにせよ、あまり派手派手しくはしない予定である。

 

それで今日はカップ麺を食べるのをやめたので、冷蔵庫にある野菜類を適当に煮てうどんを作って食べた。あまりお腹が空いていない時に食べる「身体にやさしい」食べ物は正直あまり箸の進むものではないが、まぁこれも生活である。

無題

 平成最後の夏が終わった。といっても、そこに何の感慨も無い。

 

 何故なら秋が好きだからだ。

 好きな季節は?と聞かれたら僕は迷わず「秋」と答える。

 

 まずは何といっても、その気候である。秋の気候は最高だ。

 夏は何をするにしても「暑い」という気持ちがつきまとい、目の前の物事にも集中しづらい(というのを言い訳にして、クーラーの効いた部屋に引きこもらなければならない)し、冬は服を着込めば寒さに耐えられるとはいえ身軽さがちょっと足りない。春は花粉が辛い。となると、この日本において極めてニュートラルな状態で生活できる季節というのは秋だけなのである。

 秋に比べたら他の季節なんてほとんど"気が狂った"ような状態だ。これは決して言い過ぎでは無い。半裸の身を衆目に晒しながら海水に浸したり、変な長い板を足に装着して雪山を登って降りるのを繰り返す状態がまともなわけない。冗談です。

 

 それとこれはとても個人的な話だけれど、秋に嫌な思い出というものがあまり無い。どちらかといえば良い思い出が多い。

 学校の文化祭なんかも秋だったから、学生時代の良い部分を振り返ろうとすると自然とその風景は秋だ。とはいえ、僕が通っていた大学は山奥にあったので、文化祭の時期になると夜などはほとんど冬のような寒さで、吐く息も真っ白だったけれど。

 院の1年生のときには、後夜祭が終わったあとこっそり学内に忍び込んで、警備員に見つからないようにしながらぎゅうぎゅうに狭いテントの中で誰が作ったのか分からないモツ鍋だかなんだかをみんなでつついたりした。展示はどうだったかとか誰が誰を好きとかそういう話をしながら、ほどよく火照った身体にキンキンに冷えた生ビールを流し込むのが最高に気持ち良かった。

 

 まぁ思い出話はこの辺りにするとして。秋の話だ。

 

 ファッションなんかも、夏みたいな半袖一辺倒じゃなくて、ジャケットにするかカーディガンにするかとか選択肢があって楽しい。色味も春や夏に比べるとグっと落ち着いたシックなものになる。女の子の服装も可愛い。 

 

 そしてとにかく、ご飯が美味しい。

 秋刀魚やきのこの類なんかはもちろん、狩猟が解禁されてジビエが食べられるのもありがたいし(特に鹿肉が好きです)、紫芋やかぼちゃを使ったデザートがレストランやコンビニに並ぶのも嬉しい。

 僕は甘いものは苦手だけど、こういう野菜の自然な甘みを生かしたものは大好物で、毎年秋になるとここぞとばかりに買い漁る。紅芋味のアイスぐらいなら定番化してくれても良いのにな、と思わないでも無い。

 あと巨峰。すごく好き。フルーツはだいたい好きだけど巨峰は特に好きだ。

 結婚相手に求める条件みたいなものってそんなに無いけど、強いていうなら一緒に美味しく巨峰を食べてくれる人がいい。

 まぁそういうことを考えるくらい巨峰、じゃなくて秋が好きです。

 

 音楽の面で考えれば、ジャズのスタンダードナンバー"Autumn Leaves"とアース・ウィンド&ファイヤーの"September"(といってもこれは12月の歌……)くらいしかパっと思いつかないけれど、まぁその2曲あれば他の季節とも十分に戦えるだろう。とても良い曲だから。

 

 というわけで、我々は"平成最後の夏"なんかより、"平成最後の秋"を楽しまなければならないのである。季節の食材を食し、服を買い漁り、祭りに参加しなくてはいけない。この収穫の季節を存分に謳歌すべきなのだ。それこそ、気が狂ったようにして。

 

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どうでもいいけど種ありの葡萄って人と食べるときちょっと困らない?

haji